【おすすめ】ヘッジファンド ランキング1~10位【個人も購入可】

こんにちは、東大卒ヘッジファンドオタクの投太郎です。
今回は、ヘッジファンドの国内別・世界別おすすめランキング1~10位をご紹介していきたいと思います。

ただ、成績の良いヘッジファンドは殆ど機関投資家向けのものであり、BMキャピタル1社を除き、評判の良いヘッジファンドは個人は購入できない点をご了承下さい。

投太郎

ちなみにBMキャピタルも平均利回り10%以上あるので、とてもオススメです。個人でも1000万円以上あれば購入できます。

それでは、さっそく評判の良いヘッジファンドランキングを見てきたいと思います。

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おすすめヘッジファンド国内ランキング1~10位

順位会社名代表者名運用開始年説明
1位BMキャピタル森山武利2015年BMキャピタルは、国内上場小型株式へのバリュー投資を行うヘッジファンドです。

 

ファンドマネージャーは東京大学卒→バークレイズ証券の経歴で、その手腕からBMキャピタルは平均年間利回り10%超えを実現しています。

1,000万円という最低出資金額のハードルはありますが、国内で手軽に個人が購入できかつ、まともなヘッジファンドといえばBMキャピタルしかないので、ヘッジファンド投資を考えている方にはもっともおすすめなファンドです。

参考1 : BMキャピタル公式サイト
参考2 : BMキャピタルのファンドマネージャーの経歴
参考3 : BMキャピタル組み入れ銘柄&投資戦略

2位タワー投資顧問社長:藤原伸哉
運用部長:清原達郎
1990清原達郎氏が運用するファンドとして有名なのが、タワー投資顧問です。

 

清原氏は2005年に納税長者番付一位になるなど有名です。東京大学を卒業後、野村証券に入社し、スタンフォード大学MBAを取得します。

その後、ゴールドマンサックス証券、モルガンスタンレー証券を経て、タワー投資顧問に移籍します。2005年時には、多くの資金流入が入り業績が非常に好調であったとされています。

ただ、2006年のライブドアショックやその後のリーマンショックにより小型株が苦しい時期を迎え、ファンドとしては苦しい時期を迎えます。しかし、その後は順調に運用成績を取り戻し、良好な運用成績をあげています。

現在、清原氏はがんのために筆談を必要としていると報道されていますが、運用を継続しているとのことです。

2GCIアセットマネジメント代表取締役CEO:山内英貴2000「資産運用の未来を創る」をビジョンとして掲げ、旧日本興業銀行出身メンバーで設立されたのがGCIアセットマネジメント株式会社です。

 

京都ラボ -運用者育成・教育研究プロジェクト-などを行うなど、資産運用に関するサイエンステクノロジーの発展にも尽力しており、クォンツ、データサイエンス、アカデミックに強い運用を行っています。

現在64名の従業員をかかえており、ヘッジファンド運用の他、リスクヘッジソリューション事業を行っており、ヘッジコストを低減した為替オーバーレイなどのサービスを提供しています。

山内英貴氏は、東京大学経済学部を卒業後、日本興業銀行を経て、GCIグループを設立している。
GCIはその前身であるグローバル・サイバー・インベストメントの頭文字です。

3位みさき投資株式会社代表取締役社長:中神康議2013中神康議は、慶応義塾大学を卒業後、アンダーセンコンサルティング、コーポレートディレクションなど20年以上コンサルティング業務に携わりました。

 

「働く株主」のコンセプトの元、ソロモンスミスバーニー証券のトレーダーヘッドであった谷家衛氏のあすかアセットマネジメント子会社として、あすかコーポレートアドバイザリー社長として運用業界に転じます。

その後、あすかアセットマネジメントでの内紛などを経て独立し、みさき投資株式会社を設立します。

経営者・従業員・株主の3者が企業価値を高めていくことを謳った「三位一体経営」を掲げています。

また、中神氏が発起人幹事となっている「山を動かす研究会」は、経済学者の小林慶一郎氏が参加するなど注目がされた私的研究会です。

「山を動かす」とは日本企業のROEなどの主要指標の分布が、諸外国の企業に比べて左側(ゼロに近い位置)で分布していることから、この分布を右側(高いROEの分布)に移つせるように働きかける運動を行うことを意味しているようです。

4位レオス・キャピタルワークス株式会社代表取締役社長兼会長:藤野英人2003ひふみ投信を運用するのがレオス・キャピタルワークスです。ひふみ投信は運用開始以来で現在基準価格が50000円を超えるなど、非常に良好な運用成績を残しています。

 

創設者の藤野英人氏は早稲田大学卒業後、野村投資顧問に入社します。その後、ジャーディンフレミング投信投資顧問、ゴールドマンアセットマネジメントを経て、レオス・キャピタルワークスを設立します。
藤野氏は日本株の中小型・成長株の運用経験が長いです。

マスコミ対応も積極的で多くの書籍を出版していることも特徴の一つです。「投資家みたいに生きろ」など、ベストセラーを多く生み出しています。

また、著名人との対談も多く行っており、日本人では広く知られるファンドマネージャーの一人と言えます。

ひふみ投信の設定は2008年で、リーマンショック時の設定となってしまっために、レオスキャピタルの株式価値はほぼゼロになるという事態となります。

その後運用成績を順調に伸ばし日本を代表するファンドとなりますが、その過程では厳しい状況を乗り越えているという点でユニークなファンドだと言えます。

5位シンプレックス・アセット・マネジメント株式会社代表取締役社長:水嶋浩雅1999シンプレックスアセットマネジメントは、1999年から長期にわたり日本の資本市場で運用を行ってきた老舗です。

 

バリューアップ型のファンドやETFなど多様な戦略のファンドを抱えていることが特徴です。

6位スパークス・アセット・マネジメント代表取締役社長 阿部修平1989スパークス・アセット・マネジメントは野村証券出身の阿部修平氏が設立した運用会社です。

 

阿部氏は、上智大学を卒業後、バブソン大学でMBAを取得し、野村総研を経て、野村証券へ出向しています。ヘッジファンドの戦略であるロングショート戦略を日本で始めて導入したとされています。

「マクロはミクロの集積である」という投資哲学のもと、徹底的なボトムアップアプローチを採用しています。

阿部氏はニューヨーク勤務時の31歳の時、ジョージ・ソロスから1億ドルの資金運用を任せられたとされており、3年間従事しました。

阿部氏は帰国後、スパークス・アセット・マネジメントを設立し、バリュー投資家であるウォレン・バフェットの投資手法を手本として、徹底した企業分析を基本とする運用を行っています。

また、ベンチャー企業への投資なども行っており、グループ会社としてグリーンエナジー分野への投資も積極的に行っています。

7位あいざわアセットマネジメント代表取締役社長:白木信一郎2021ソロモンスミスバーニー証券でヘッドトレーダーだった谷家衛氏が設立したあすかアセットマネジメントを前身とする運用会社です。

 

谷家衛氏は東京大学を卒業後、ソロモンを経て、チューダーインベストメントで働きます。その後、チューダーインベストメントの日本法人をMBOする形であすかアセットマネジメントを設立します。

旧あすかアセットマネジメントは、ライフネット生命の設立や、マネックス証券、マネーフォワード、CAMPFIREなどに関与するなど、多くの企業に影響を与える投資を行っています。

その後、内紛により中神康議氏が独立しみさき投信を設立。旧あすかアセットマネジメントは、あけぼの投資顧問と合併する形で藍沢証券に買収され、あいざわアセットマネジメントとなります。

8位ミョウジョウ・アセット・マネジメント代表取締役:菊池真2003ミョウジョウアセットは、絶対リターンを追求するヘッジファンドです。ボトムアップリサーチにより年率20%を目指す運用を行っています。

 

設立者は菊池真氏で、1990年早稲田大学政治経済学部を卒業後、日本債券信用銀行に就職します。日本株式、米国株式、内外債券、およびワラントの運用を担当するなど幅広く経験を積んでいきます。

1993年マーキュリー投資顧問に移籍し、ファンドマネジャーとして日本株運用に従事します。

1999年ピーピーエム投信投資顧問に移籍。日本株チームのヘッドを任せられます。こうした大手運用会社での長期にわたる運用経験を経て、2003年ミョウジョウ・アセット・マネジメントを設立しました。

9位ハヤテインベストメント代表取締役社長:杉原行洋2005創業者の杉原行洋氏は、東京大学を卒業後、ゴールドマンサックス証券にて株式トレーディングに従事します。

 

その後、タワー投資顧問の清原氏にヘッドハンティングされ運用業界に転じます。2024年からNPB(日本プロ野球)の2軍に13球団目として新規参入を目指しており注目されています。

静岡市を本拠地として考えられており、NPB側も前向きな報道がなされています。
運用については、中小型成長株が主力であり、非常に高い運用成績を納めています。

また、設立当初はシンガポールを本拠地としていましたが、日本でヘッジファンドを根付かせるとの考えから、日本を本拠地として移転しています。

10位暁翔キャピタル代表取締役社長 兼 CIO :山口功一郎2009暁翔キャピタルはUBS証券でトレーダーに従事していた、山口功一郎氏と浜野哲也氏が設立したヘッジファンドです。

 

主力戦略は中小型株式のロングショート戦略で、中長期的なポジションと短期的なポジションの両方を持ちつつ、月次でのパフォーマンス積み上げを狙います。

山口氏は、2003年にUBS証券に入社した後、2006年にホライゾン・インベストメント・インターナショナルへ移籍します。山口氏は馬主としても有名で、いくつかの所有馬がJRAにて活躍をしています。

投太郎

次は世界ヘッジファンドランキング1~10位をご紹介しますが、個人は購入することはできず、文字数も多いので読み飛ばして貰ってもOKです。ヘッジファンド購入に興味のある方は、BMキャピタル公式サイトから資料請求をするのが良いと思います。

おすすめヘッジファンド世界ランキング1~10位(個人は購入不可)

順位会社名運用資産運用開始年説明
1位ブリッジウォーター・アソシエイツ(Bridgewater Associates)1264億ドル1975世界一の規模を誇るヘッジファンドです。1975年にレイ・ダリオによってニューヨーク・マンハッタンの彼のアパートにて設立されました。

 

現在は、拠点をコネチカット州ウェストポートに構え、1500人を超える従業員を抱えています。レイ・ダリオは2005年に、拡大する人員のためにPrinciplesと呼ばれるハンドブックを書き上げました。

これは、インターネット上で公開されている上に、2017年に出版されています。こうした独特のカルチャーは、時にはカルト的であると批判されることがあります。

レイ・ダリオはロングアイランド大学を卒業後、ハーバードビジネススクールにてMBAを取得します。卒業後は、ドミニク・アンド・ドミニクで商品取引を行います。

その後、ヘッジファンドであるシェアソンでの仕事を得ますが上司との関係性が悪化したために解雇されます。その後、シェアソンでの顧客との信頼関係から、レイ・ダリオはヘッジファンドを設立することになります。

レイ・ダリオは設立したヘッジファンドで、事業会社のヘッジ事業を主に行っていました。そこでは、特に、会社全体での為替エクスポージャーを管理する、為替オーバーレイを行っていたとされています。

その後、顧客向けに有料の市場分析レポートを発行するなど、業界では名の知れた存在となっていきました。

1982年には、メキシコ債務危機時に景気後退が起こると予想するものの、実際には株価が大幅に上昇するなどし、レイ・ダリオは大きな損失を被ります。この時、従業員を全て解雇しなければならなくなるなど、非常に苦しい時期を過ごした経験から、多くのことを学んだとされています。

1989年には、当時としては画期的であったアルファのみを狙う戦略のヘッジファンド「ビュア・アルファ」を設立し、現在まで旗艦ファンドとして高い運用リターンを残しています。
その他、1996年には「オール・ウェザー」という全天候型ファンドを設立します。

この「オール・ウェザー」は、リスク・パリティ戦略のファンドであり、この戦略を取り入れたのは世界初であるとされています。このリスク・パリティ戦略はファイナンスの世界において大流行を見せ、類似の戦略ファンドが多く設立されました。

このリスク・パリティ戦略は、市場ボラティリティが高まると保有資産を減らす方向に投資行動を変化させます。このため結果として、リスク・パリティ戦略はCTA戦略と並び、市場を動かすヘッジファンドの代表的な存在として世の中に知られるようになっています。

レイ・ダリオは2022年にCIO(チーフインベストメントオフィサー)としての役職を辞職し、保有議決権をすべて手放し、引退をすることとなった。この計画は2010年ごろから着手されていたが、結果として12年ほど時間を要したことになります。

レイ・ダリオはメキシコ債務危機時に従業員を失う苦難を経験していますが、その時の経験から大きな影響を受けたと考えられる「Principles」というハンドブックを書き上げて、その中で「成功への5つのステップ」を提案しています。この「Principles」は非常に自己啓発的な内容であり、多くの人に受け入れられるような書物となっている点がユニークな存在だと言えます。

ちなみに、5つのステップは、1「目標探し」2「問題探し」3「問題の原因探し」4「対応策を立てる」5「行動に移す」というものです。これらのステップは、現実と向き合うことを要請するものであり、非常に苦痛を伴うものの、社会生活でこのループを繰り返すことによって「自然の法則」として成功へと進むことができるとしています。

レイ・ダリオはこうした、困難を直視する姿勢をBridgewater Associates内でも強く推し進めており、オープンに問題解決にむけて話し合うという姿勢を強く見せています。こうした考え方は、時にはカルト的であると言われる理由ではありますが、一方で非常にファミリー的な組織であると考える社員もおり、独特の文化を形作っています。

また、レイ・ダリオは、250年サイクルのような長期の覇権サイクルを信じているとも言われており、国家が衰退するサイクルについての研究もおこなっており、米国の衰退についての言及も多くあります。

2位マン・グループ(Man Group)735億ドル19831783年に砂糖商社として、ジェームズ・マンにより設立されます。設立後には、ラム酒を英国海軍に独占的に取引する権利を取得し、砂糖やラム酒などの取引により大きく発展していきます。

 

1970年に、世界最大の商社の一つとして、先物取引を通じた金融市場に参入します。1994年には、ロンドン証券取引所に上場を果たし、FTSE100にも採用されます。この上場しているという点が他のヘッジファンドと大きく異なる点となっています。

マングループは、AHLや、Numeric、GLG、GPM、FRMという5つの子会社を持っています。
AHLは、マングループの旗艦ファンドであり、システマティックトレードの草分け的存在でもあります。

1987年に設立されて以来、CTA(Commodity Trading Advisor:商品投資顧問業者)戦略を採用し、初期においてはトレンドフォロー戦略、後にマルチ戦略を採用しています。AHLは、砂糖取引業者の子息のマイケル・アダムとその友人のデイビッド・ハーディング、そして他のCTAに勤めていたマーチン・ルークによって設立されています。

名前の由来は、彼らの名前の頭文字からです。その後、マングループに買収されて現在に至ります。

Numericは1989年にボストンでラング・ウィラーにより設立され、2014年にマングループに買収された株式クォンツのファンドです。当時のモットーは、”No Alpha,No Business”(アルファがなければビジネスではない)であり、Alpha First(アルファ第一主義)を追求したファンドでした。

GLGは、1995年に設立され、2010年にマングループに買収されました。戦略としては、株式のロングショート戦略やクレジット投資、エマージング投資などを行うオルタナティブ投資やロングオンリー投資を行っています。GLGの名前の由来は、ノーム・ゴッツマン、リーマンブラザーズ証券のユニットとしてピエル・ラグランジュ、ジョナサン・グリーンの頭文字からです。

彼らは、ゴールドマンサックス証券でのプライベートクライアントビジネスで出会いました。
GPMは2010年に設立されたAALTO Investment と2012年に設立されたBRIDGE LANEなどがマングループに買収されたことにより現在に至っています。AALTOは不動産投資を主に行っていた一方で、BRIDGE LANEは未上場企業のローンに投資することを行っていました。このため、現在は不動債や未上場ローン、インフラ投資など未公開市場への投資を主に行っており、GPMはグローバル・プライベート・マーケットを意味しています。

FRMは、1991年にブレイン・トムリンソンが設立したファンド・オブ・ファンズ方式のヘッジファンドです。ファンド・オブ・ファンズとは、多くのヘッジファンドに投資を行い全体としてのポートフォリオを構築する戦略であり、FRMはその先駆け的存在でした。
このようにMan groupは伝統的な企業であるという側面と、多くのヘッジファンドを買収して拡大する上場企業であるという側面があり、多様な戦略と人員が働いている大規模な組織であると言えます。

3位ルネサンス・テクノロジーズ(Reneissance Technologies)570億ドル1982Reneissance Technologies は、1982年にジェームズ・シモンズによりニューヨークで設立され、従業員は300人程度だとされています。戦略は、数学的なモデルと市場の非効率性を見つけるアルゴリズムによるシステマティックトレードを基本とするクォンツ運用です。

 

システマティックトレードは、テクニカル分析の一部であると考えられており、意味のあるアノマリーを発見した場合にポジションを構築するものの、そのアノマリーは発見と同時にパフォーマンスが逓減することから、その手法は公開されないよう秘密裏にされています。

ジェームス・シモンズは、1938年にアメリカのユダヤ系の家庭に生まれました。1958年にMITで数学の学位を取得後、1961年にはUCバークレー校で23歳の若さでPh.Dを取得します。その後は、MITで教職、ハーバードで研究職に就きます。1976年には、数学界において最も栄誉ある賞の一つとされる、オズワルド・ヴェブレン幾何学賞を「極小多様体と特性形式の業績」に対して、アメリカ数学会から受賞しています。

また、ジェームズ・シモンズは、1964年よりNSA(アメリカ国家安全保障局)のIDA(国防分析研究所)にて、暗号解読の仕事をしていましたが、ベトナム戦争に対する批判的な新聞投書を理由として解雇されています。その後は、ニューヨーク州立大学で数学科長として職を得ることになります。そして、40歳になってから、ヘッジファンドマネージャーに転身をしており、クォンツ運用の草分け的存在となっています。

旗艦ファンドであるMedalionのパフォーマンスは非常に高く、1988年から2018年の30年の期間において、報酬控除後で年率39%を超える収益率となっています。また、Medalionは成功報酬が高いことでも知られており、報酬控除前の利益では、60%を超える収益率だとされています。ちなみに、Medalion は規模が大きくなりすぎることを恐れて外部からの資金を避けるために、成功報酬を一般的な20%よりもかなり高い44%まで引き上げており現在はほとんどが従業員の自己資金のみでの運用となっています。

こうした運用結果は、ウォーレン・バフェットやピーター・リンチ、ジョージ・ソロス、レイ・ダリオなどの優れた投資家を上回っているとされています。ちなみに、外部向けのポートフォリオとしては、Renaissance Institutional Equities Fund (RIEF) と Renaissance Institutional Diversified Alpha (RIDA)が提供されています。

ジェームズ・シモンズは、その並外れた投資リターンから、「地球上でもっとも優れたマネーマネージャー」、またその数学での実績から「最も賢い億万長者」であると言われています。ジェームズ・シモンズは2010年にReneissance Technologiesから引退しており、現在はピーター・ブラウンがCEOに就いています。

旗艦ファンドのメダリオンは、ニューヨーク州立大学で同僚であり、フランク・ネルソン・コール数論部門賞を獲得したジェームズ・アックスをReneissance Technologiesに引き入れたたため、彼の賞と、ジェームズ・シモンズのヴェブレン賞にちなんだ名前となっています。

Reneissance Technologiesは、最もリターンの良いヘッジファンドとして知られており、ジェームズ・シモンズは最も成功したヘッジファンドマネージャーの一人であるとされています。

ただし、その途中にはいくつもの困難な局面を経験しており、また、ジェームズ・シモンズ自体がアルファの源泉というよりも、非常に個性的な数学や統計学、データサイエンスのエキスパートたちを上手く扱い、パフォーマンスにつなげていき、多くの交渉を行い困難を乗り切っていったことが知られており、その秘密主義的な独特の文化が多くの関心を引き付けています。

4位ミレニアムマネジメント(Millennium Management)550億ドル1989Millennium Management は、ニューヨークに本拠地を構えるマルチストラテジー型のヘッジファンドです。イスラエル・イングランダーとロナルド・シェアにより1989年に設立されました。ただし、ロナルド・シェアは6か月後に退職しています。オフィスとしては、東京、ロンドン、シンガポール、香港などにあります。
イスラエル・イングランダーは、ポーランド系ユダヤ人としてニューヨークで生まれました。その後、ニューヨーク大学でファイナンスを専攻し、Kaufman Alsberg証券会社に就職します。そこでは、転換社債やデリバティブ取引、オプションなどを扱っていました。その後、アメリカン証券取引所の権利を購入し、1977年にI.A.Englander & Coというブローカレッジハウスを設立します。1985年にイスラエル・イングランダーはアイヴァン・ボースキーのもとでオプショントレーダーをしていたジョン・マルヘレンJrとカナダのベルツマンファミリーから7500万ドルの出資を受けて投資を始めますが、アイヴァン・ボースキーによるインサイダー取引事件の余波により、ジョン・マルヘレンJrが逮捕されてしまい投資会社を清算することになります。1989年にイスラエル・イングランダーはアメリカン取引所での知り合いだったロナルド・シェアとともに、3500万ドルのシードマネーでMillennium Managementを設立し、転換社債や株式ワラントと現物株式との裁定取引や株式のロングショート戦略などのヘッジファンドを運営することになります。Millennium Managementは、その後、多くのヘッジファンドやチームを買収するなどし、300近いチーム数、3000人近い従業員を抱えるマルチストラテジー型のヘッジファンドとなっています。このため、多くのヘッジファンド人員を集めることに注力しており、過去には秘密主義的なヘッジファンドであるReneissance Technologiesからファンドマネージャーを引き抜いたために、訴訟される事態となりました。この時は、Reneissance Technologies側に和解金を支払い、当該従業員を解雇するという形で決着しています。
5位シダテル(Citadel)530億ドル1990Citadel LLC は、マイアミ、フロリダを本拠地とするヘッジファンド・金融サービス企業です。ケネス・グリフィンにより1990年に設立されました。2600人程度の従業員を抱えています。

 

ケネス・グリフィンは1968年にフロリダで生まれます。ハーバード大学時代にプットオプションの購入により利益を得たことで、投資を始めたとされており、その後、転換社債と現物株式の裁定取引に投資機会を見出します。キャンパス内でのビジネスを禁じられていたものの、メリルリンチ証券などにブローカレッジ口座を設立し、祖母などから出資してもらった資金により投資を始め、1987年のブラックマンデーでは大規模な利益を得ることに成功します。

1989年に大学を卒業し、シカゴに移り住んだ後、Glenwood Capital Investment の創始者であるフランク・メイヤーとともに働き始め、資金を100万ドル拠出されます。この時、ケネス・グリフィンは1年で70%もの利益を獲得したとされています。
翌年の1990年、フランク・メイヤーの支援を受けて、Citadel LLCを設立し、2000年代にはマーケットメイキング事業を行うCitadel Securities を設立します。

シタデルの特徴は、一つは株式や債券、転換社債などのマルチ戦略型ヘッジファンドであることですが、もう一つがその買収戦略にあります。これは、例えば、LTCM破綻時には、投げ売りされたポジションを買い取るなどで利益をあげました。このほか、エンロン破綻時にはエネルギー部門のトレーダーなどを引き抜き事業を拡充したり、いわゆるリーマンショック時には、破綻したヘッジファンドから人員やポジションを買い取るなどの投資行動を取るなど機動的な企業運営を行っています。近年では、2021年にMEME銘柄として暴騰したGame Stop株で損失を出したMelvin Capitalにも出資を行い支援を行っています。

このほかでは、FRB元議長でノーベル経済学賞受賞者であるベン・バーナンキ氏を顧問としています。
ケネス・グリフィンは不動産の所有者としても有名で、特にニューヨークのペントハウスの最上階を2億4,000万ドルで購入したという案件は、過去最高額での購入であったと報道されています。このほかにも、Citadelのニューヨークのオフィスの価格も非常に高額であることが知られており、多くの耳目を集める注目度の高いヘッジファンドと言えるでしょう。

6位D.E.ショウグループ(D.E.Shaw Group)480億ドル1988D.E.Shaw Group は、クオンツグ型ヘッジファンドの草分け的存在であり、1988年にニューヨークにてデビッド・ショーにより設立されました。デビッド・ショーは、UCサンディエゴを優秀な成績で卒業し、スタンフォード大学でPh.Dを取得します。その後、コンピューター・サイエンスの助教授としてスタンフォード大学での職を得ます。モルガンスタンレー証券で経験を積み、ヘッジファンドを設立します。モルガンスタンレー証券での仕事は、ペア・トレードと呼ばれる統計的な価格収斂取引の自動勘定であったとされています。モルガンスタンレー証券を辞める際、ゴールドマンサックス証券からの誘いを受けるか迷っている状況で、ヘッジファンドマネージャーであるドナルド・サスマンに相談をしたところ、シードマネーを2800万ドル拠出することを提案され、ファンドの設立に至ります。D.E.Shawでの、初期の戦略としては、ペア・トレードなどの統計的なトレードの他に、転換社債やワラントなどを用いた裁定取引などでした。

 

ちなみに、ECサイトアマゾンで有名なジェフリー・ぺゾスは、D.E.Shaw出身です。D.E.Shawにおいて、ジェフリー・ぺゾスはシニア・バイス・プレジデントとしてインターネット関連の分析をしていました。そして、インターネットによる本の販売のアイディアの可能性を見出し、独立を果たしました。デビッド・ショーは彼を引き留めたものの、「人生の後悔を最小にする」という理由により円満退社となりました。
D.E.Shawは設立以来、長らくクォンツファンドとしてトップランナーとして走っていました。しかし、1997年バンクオブアメリカと提携し、債券レラティブバリュー戦略に事業を拡大すると、1998年の大手ヘッジファンドLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)の破綻の余波により大規模な損失を計上してしまいます。この破綻のきっかけは、1997年のアジア通貨危機や1998年のロシア財政破綻などだと言われており、D.E.Shawは従業員の3分の2を解雇しなければならなくなりました。

その後デビッド・ショーは2002年に引退し、大学の研究者となりますが、ファンドとしてのD.E.Shawは事業規模を拡大し、再保険やベンチャーキャピタル、不動産などを手がけるようになっています。
D.E.Shawはクォンツファンドの先駆け的存在であり、長きにわたりReneissance Technologiesとライバル関係にありました。こうしたことから、多くの影響を業界に与えており、今後の動向についても期待がされています。

7位ツーシグマ(Two Sigma Investments /Advisers)410億ドル2001Two Sigma Investments は、ジョン・オーバーデックとデビッド・シーゲルそして、マーク・ピッカードにより2001年米国ニューヨークのSOHOを拠点に設立されました。デビッド・シーゲルはプリンストン大学を卒業後、MITでPh.Dを取得し、D.E.Shawを経て独立し、金融サイトのフォーサイトを設立しました。その後、チューダー・インベストメントにてCIOとして活躍をします。マーク・ピッカードはチュダー・インベストメントでトレーダーをしており、そこで二人は知り合います。

 

ジョン・オーバーデックは、数学オリンピックにおいて銀メダルを獲得し、その後スタンフォード大学で数学の学位と統計学の修士を修得しました。卒業後は、D.E.Shawを経て、そこで知り合ったジェフリー・ぺゾスのもとでアマゾンの顧客リレーション部で経験を積んでいます。ジョン・オーバーテックとデビット・シーゲルは、D.E.Shawで出会い、その後、Two sigmaを設立しました。

現在、1600人を超える従業員を抱えており、スタッフのうち2/3以上の従業員は研究開発の人員であり、60%の人員が府ファイナンス以外の専門的バックグラウンドを持っています。6900以上のデータサーバーと10000ものデータソースを利用しています。同社はヘッジファンド事業以外にも、保険事業、マーケットメーキング事業、ベンチャーキャピタル事業も行っています。オフィスはニューヨークやヒューストンなど北米以外にも、ロンドン、香港、上海、そして東京・南青山にも拠点を構えています。

投資手法は、データサイエンスやAIなどを用いたクォンツ運用を行っています。ただし、そのポートフォリオや投資方針などの多くは秘密にされており、謎めいた運用手法がその特徴の一つとなっています。また、こうした技術を外部に漏洩しないように、かなり厳しい体制が敷かれていることも有名です。特に、従業員が辞める場合に、いくつかの法廷闘争になった例があり、こうした秘密主義がアルファを長期に維持する源泉として働いている可能性があります。

Two Sigma の由来は、売りと買い両方のポジションを選ぶことからとも、低いボラティリティのσと、高いリターンを積み上げるΣの両方の意味でTwo Sigmaという名前を付けたとも言われています。

8位デビッドソンケンプナーキャピタルマネジメント(Davidson Kempner Capital Management)375億ドル1983Davidson Kempner は、マーヴィン・デービッドソンにより1983年に設立されたM.H.Davidson &Coに、トーマス・ケンプナーが1984年に参加したことから始まります。その後、アンソニー・ヨセロフが1999年に参加し、現在は彼が代表を務めています。Davidson Kempnerは、ニューヨークを本拠地とし、フィラデルフィア、ロンドン、ダブリン、香港、深圳などにオフィスを構え、450人程度の従業員を抱えています。

 

Davidson Kempnerはマルチストラテジー型のヘッジファンドで、ボトムアップ、ファンダメンタルズ重視型のディストレス債投資や、転換社債裁定取引、合併裁定取引などを主に行っています。

Davidson Kempnerは多くのディストレス案件でその名前が挙がり、非常に高いリターンとAUMを抱えていますが、日本ではあまりその存在を知られていないのが実情のようです。

9位ファラロン・キャピタルマネジメント(Farallon Capital Management)374億ドル1986ファラロン・キャピタルは、1986年に米国でトーマス・ステイヤーにより設立されたマルチストラテジー型のヘッジファンドです。8か国、230以上の従業員を抱えています。ファラロンの名前の由来は、サンフランシスコ沖のファラロン諸島であると言われています。トーマス・ステイヤーは、イェール大学を卒業後、モルガンスタンレー証券を経て、スタンフォード大学MBAを取得します。

 

その後、ゴールドマンサックス証券にて、リスク・アービトラージ部門で働きます。その後、トーマス・ステイヤーは、プライベートエクイティのHelman and Friedmanで経験を積み、同社の資金援助により1986年にファラロン・キャピタルを米国サンフランシスコに設立しました。その後、出身大学であるイェール大学基金による投資を獲得し、拡大していきました。

トーマス・ステイヤーの手法は基本的にリスク・アービトラージ戦略を中心とする絶対リターン運用でしたが、次第にアービトラージによる投資機会が減少していきました。このため、ディストレス債へのクレジット投資やローン投資、不動産投資などを行うようになりマルチストラテジーを採用することになります。

日本においても、ファラロン・キャピタルは活躍を見せています。特に有名なのは2017年の東芝への出資ではないでしょうか。2006年に東芝は54億ドルで買収したウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーの原発事業などが、東日本大震災以降に収益性が大幅に悪化したため財務体質が悪化していました。

こうした財政悪化を隠蔽するため2009年から2014年にかけて粉飾決算を行っていたことが発覚し、2016年3月期には大幅赤字を計上しました。その後、2017年にウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーは破産申請をし、東芝は債務超過状態に陥り、2017年末に6000億円以上の第三者割当増資を行いました。この時点で、ファラロン・キャピタルも出資しています。その後、東芝はCVCキャピタルによる買収策を講じますが、ファラロン・キャピタルを含む多くの株主の反対により頓挫します。

また、2021年に発表された東芝三分割案(その後二分割案に修正)もファラロン・キャピタルなどの反対多数により否決されます。2022年にはファラロン・キャピタルなどが東芝に取締役を送り込むことになりました。

10位ザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド(The Children’s Investment)362億ドル2003TCI は、クリストファー・ホーンにより2003年に設立された英国のヘッジファンド運用会社です。投資先企業の経営陣に対して積極的に提言などを行うことによって、企業価値を高めることを狙うアクティビストファンドとして知られています。

 

クリストファー・ホーンは1966年英国に生まれました。その後、サウサンプトン大学で会計学などを学び、優良な成績で卒業します。その後、ハーバード大学MBAへ進学し、ベイカー・スカラー(上位5%)の成績を残します。ちなみに、このベイカー・スカラー取得の著名人は多く、日本人だとボストンコンサルティンググループで活躍し、その後ドリームインキュベーターを創設した堀紘一、ボストンコンサルティンググループ日本法人代表の御立直尚、ライフネット生命共同創始者の岩瀬大輔などがあげられます。

クリストファー・ホーンは卒業後、イギリスのプライベートエクイティファンド、アパックスパートナースに就職し、1996年にはペリーキャピタルに移籍します。そこで成功を納め、TCI(ザ・チルドレンズ・インベストメント)を2003年に設立します。

2005年におけるドイツ証券取引所によるロンドン証券取引所の買収に対する阻止がアクティビストとしてのTCIの知名度を大きくするきっかけとなりました。
日本におけるTCIの活動として、最も有名な例はJパワーへの投資でしょう。Jパワー(電源開発株式会社)は日本の電力卸売り事業などを行うインフラ企業です。TCIはJパワー株式を9.9%まで買い上げ、2007年に増配と自社株買いを要求しました。

Jパワーはインフラ企業なので、外為法に基づく外資規制適用企業であるため、10%以上の株式保有は認められていませんが、この点についても日本政府に20%まで拡大できるように申請を行っています。20%のまでの株式保有拡大申請は、外為法の適用により日本政府による中止命令が出されて終止符を打ちましたが、その後、Jパワーに対する株式買い取り請求により、時価を大幅に上回る買取を勝ち取り、大きな収益を得ることに成功します。

ちなみに、TCIの名前の由来はクリストファー・ホーンの元妻が運営する慈善団体と同名であり、TCIは年間収益から一定割合の寄付を長年行っていました。
このほかにもインフラ企業にまつわる大型案件を多く取り扱っており、例えば、2022年においてもカナダ最大の鉄道会社であるカナディアン・ナショナル鉄道に対してもアクティビスト活動を行っており、多くの注目を集めています。

 

今回のまとめ

いかがでしたでしょうか。今回はヘッジファンドランキングをご紹介してみました。
ただ、残念なことに成績や評判が良いおすすめヘッジファンドは機関投資家向けであることが実情です。

しかし、BMキャピタルであれば1,000万円あれば個人でも購入ができますので、ヘッジファンド投資を考えている方に唯一残された選択肢さと言えるでしょう。

ヘッジファンド投資にご興味のある方は是非、公式サイトからBMキャピタルの資料請求をしてみください。

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